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28 November, 2011 (Mon)

大洪水により予定より1ヶ月半遅れましたが,
昨日,里子に学用品を支給致しました。
皆さまの応援により,今年度の就学支援は
94名でスタートすることができました。

皆さまの温かな応援に深く感謝申し上げます。


PB270163.jpg


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[ 2011/11/28 23:22 ] 日記 2011 | TB(0) | CM(0)

1 March, 2011 (Tue.)

1月26日,待望の芦別からのコンテナが到着。
学校の前に,校門を通れないほどの大きなトラックが来て。
高学年は授業を中断して出迎えた。

開けてみるとピアノ2台とその他たくさんの楽器。
文房具に運動用具。
そして,靴が3000足。

割れんばかりの歓声が上がり。
炎天下,灼熱の太陽も気にもせずに,
1時間かけて皆で荷物を運んだ。

コンテナ P1260384 コンテナ IMG_3956 コンテナ IMG_3972


-------

カンボジアでは,日本のように靴をはく習慣がない。
熱帯モンスーン気候,靴や靴下を履く必要がなかった。
幼いときから裸足で外を駆け回ってきたその足は,とっても丈夫。
出かけるときはせいぜいビーチサンダルを引っ掛ければいい。
サッカーも縄跳びも。
子どもたちは砂の上を素足で思いっきり動き回る。

けれど。
どんどんコンクリートが敷かれていく都会では,ちょっと事情が変わってきた。
どんなに強い足だって,コンクリートやガラスの破片にはかなわない。
登下校時,すれすれのところを行き交うバイク。
少しの接触で足先がパックリと割れる。
生爪がはがれる。

2年前にワット・ボー小学校も校庭にタイルを敷き詰めた。
校内でのケガも多くなった。

1年ほど前のことだったか。
足先にボロきれを巻いている男の子がいた。
何の気なしに 「これなぁに?」 と聞いてみた。
「ず~っと前にタイルに引っかけて…」
ボロきれをとって見て…血の気が引いた。
肉がぐちゃぐちゃになって腐りかけ,骨が見えていた。
足の甲のケガなのに,よく見ると太ももまで腫れている。
熱も高い。
すぐに病院だ!

保護者のところに連れて行くと,両親は,病院なんか行かなくていいと言う。
「小児病院は無料で診てくれるのになぜ…?」
「ガソリン代がない。
それに毎日水で洗ってるんだからもうすぐ直る。」
水場に目をやると…そこには,濁った雨水を貯めた大きな瓶が一つあった。

病院には私が連れて行くことになった。
医者は「これは…ちょっと遅かったか…。」と,顔をしかめた。
だが,一ヶ月の入院治療でなんとか切断は免れた。

このような事件が何度も続いた。
そして,学校では2009年の終わり頃から,子どもたちに靴をはかせる指導を始めた。

しかし…。
靴や靴下を買える環境にある子どもは全校5000名のうち2割程度。
学校の運営費やアナコット基金でなんとかやりくりし,約100名分は用意できたが。
全員にはとうてい行き渡らなかった。

以前CIMG2156 以前CIMG2055


---------

そんな中,芦別国際交流協会から連絡があった。
市内の靴屋さんから約3000足の靴の提供があった。と。
問題は輸送費であったが,由仁町の吉田商会さんがコンテナを提供してくださった。

吉田さん 芦別国際交流協会と石田さん
【コンテナ提供者の吉田さん】   【芦別国際交流協会】



2010年3月から。
たくさんの困難と直面しながら準備を進めてきてださった。

『カンボジアの子どもたちのために』 と。
多くの人たちの想いを乗せて。
大勢の人たちに支えられ。


今日,靴の配布(第一部)が終わった。
これまで靴を買えなかった貧困層の子どもたちを優先的に。
最初の配布から1ヵ月半かかって,1800人の子どもたちに靴が行き渡った。

今,子どもたちは靴をはいて思いっきり駆け回っている。


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[ 2011/05/17 02:58 ] 日記 2011 | TB(0) | CM(0)

26 February, 2011 (Mon.)

夢の洗濯機!!

我が家に素晴らしい文明の利器がッ☆★



先日,北海道からカンボジア支援のための現地視察があった。
環商事社長はじめ,ご家族と社員の方,そして石狩JCの方,計9名。
里子20名もの支援を引き受けてくださっている社長。
子どもたちとの面会,家庭訪問を行った。
子どもたちは直接 『ありがとう』 を伝える機会をいただき,
いただいたプレゼントを嬉しそうに抱きしめていた。



どういう話から洗濯の話になったんだったか…。
洗濯は『手洗い』ということに社長婦人が驚き,
みんなからプレゼントしてくれると言う。

うちに洗濯機…。
考えたこともなかった。

うちにいる子どもは現在5名。
マーリッとクーの他に,一時的に預かっている子どもが常にいる。
というのも…
家庭訪問に行くと,子どもたちだけで生活していることがよくある。
親が出稼ぎで長期不在,あるいは保護者が入院中の子など。
もちろん,その間の食費等は置いていかない。
近所の人たちがお米を分けてくれるような環境にあればかなり恵まれている方。
雑草なんかを煮炊きして,自分たちで何とか食いつないでいる。
という状況は珍しくない。
また,虐待を受けている子どももいる。
一時は10人の子どもたちがちぃ邸で生活していた。

洗濯は,基本自分で。
ということにはなっているが。
そううまくはいかない。
洗濯物入れは常に満杯。
毎晩,洗濯物を抱えて夜の水浴びをするのが習慣になっていた。
日曜日,全員のバスタオルを洗うと半日かかる。
筋肉痛になる覚悟を決めてからシーツを洗う。

でも,あまりにも普通のことになっていて…
それが大変という実感はなかった。
が。
まさかの洗濯機の登場。

こんな嬉しいことがあるだろうか!
『全自動洗濯機』
ボタン一つ押すだけで全てが終わる。
筋肉痛とも,手の皮が剥けることともお別れ♪


子どもたちは洗濯機を見るのが初めて。
記念すべき第一回洗濯パーティー。

みんなのシーツを入れてボタンを 『ピッ!』
約50分間。
誰も洗濯機から離れなかった…。


---------------


みなさん,本当に本当にありがとうございました!!
我が家の家宝として,大切に使わせていただきます!!!


環商事 ご一行さま★   洗濯機とまーりっ♪   はいっちゃった♪くー♪♪





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[ 2011/03/14 22:04 ] 日記 2011 | TB(0) | CM(0)

7 February, 2011 (Mon.)

タエレアンの荷造りが終わった。

ラスト1週間の食事のメニューは全てタエレアンのリクエスト。
お好み焼きにバイチャー,ミーチャー。
クレープパーティーに焼肉パーティー。

マーリッもクーもタエレアンも。
それぞれに悲しい気持ちを胸にとどめ。
少しでも楽しい時間を過ごそうと。
お互いに思いやるあたたかなときが過ぎた。


昨夜,2人で話をした。

やっぱり帰りたくない…。
また同じことになるかもしれない。
お母さんはかわいそうだけど…
ネアックルーといたい…。

しょんぼりとタエレアンがつぶやく。

この世にたった1人しかいない生みの母親。
本当の親とともにしあわせになるべきだ。
誰かを恨んで生きてはほしくない。
このままお母さんを許さずに一生過ごすつもりなのか。
母とやり直すチャンスではないか。
タエレアンが母と過ごした10年,悪いことばかりではなかったはずだ。
本当に勉強がしたいなら,働きながらだってできる。
これはタエレアンへの試練ではないか。

引き止めたい気持ちを殺してそう話した。


これでいいのか,それとも間違っているのか。

さっぱりわからなかった。



みんなではじめた屋上家庭菜園。
野菜ができるのを楽しみにしていた。

今度髪を切るときはもう少し長めにしてね。

次の誕生日には,ネアックルーが作ったハンバーグのケーキがいいな。

来月の家庭訪問は,ネアックルーについて行ってお手伝いしていい?

ネアックルーが忙しくないときに英語を教えてほしいな。

今度のバコーンには家族でコンポンサオムに行こうね。

いつかみんなで日本に行きたいね。



いつか。

こんど。

計画だけが残った。


タエレアンの笑顔が浮かんでは消える。




さっき,母親が迎えに来た。


私の手を握って…何度も何か言おうとするタエレアン。
涙をこらえるのに必死で言葉になっていない。

そして,意を決したように涙を拭って。

「ネアックルー… ありがとう…」

大きな荷物を抱えて母親のバイクの後ろに乗った。


1年前よりずいぶんと大きくなったその背中を見送る。

ただただ,タエレアンのしあわせを願うことしかできない。




・・・・・・・・・・・・



前回の日記をアップしてから,
大勢の方々より,心のこもった励ましや応援のメッセージを頂きました。
一緒に怒り,一緒に悔しがり,一緒に泣いてくださったこと,
とっても嬉しく,心強く。
皆さんからいっぱいパワーを分けてもらっちゃっいました。
おーくんちゅらん!!


とりあえず。
らしくなく,とことん落ち込んでみたし。
これ以上自分の無力さを嘆いたって何も始まらないし。
こんな自分はかっこ悪すぎまくりだし。

なにより,マーリッとクーと他の子どもたちと。
そして覚悟を決めて出て行ったタエレアンのためにも。


明日からまた,自分にできることをひとつずつ積み上げていこう。



タエレアンとクー





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[ 2011/03/02 09:53 ] 日記 2011 | TB(0) | CM(3)

18 January, 2011 (Tue.)

タエレアン。
我が家に来てちょうど1年が経った。

今日,初めて母親がやってきた。



1年前・・・・・・・・・

音楽隊のドラマー,ひょうきんで優しく,人気者の6年生。
いつも元気いっぱい,やんちゃ坊主。
だから,そんな彼がある日突然,
「ネアックルーの家においてください。」
と,真顔で手を合わせたときには驚いた。

理由を尋ねても,話の内容がちぐはぐ。
そして,「お願いします!」 と目に涙を浮かべて訴える。
とにかく家に帰りたくない事情があるようだ。

母親に電話をし,とりあえず1泊していくことに。

夜,タエレアンと2人でじっくり話をした。

話はそこからさらに1年前に遡る。
市場で小さな雑貨屋を営んでいた両親。
家族5人でプノンペンへ仕入れに出かけた帰り道。
眠っていたタエレアンには何が起こったのかワケがわからなかった。
気付くと,運転席が潰れていた。
悪夢をみているようで呆然とした。
必死で自分の頭から流れてくる血を拭い。
よく見てみると…
父親は無残な姿になっていたという。

母親と兄弟は無事だった。
しかし…。
兄と弟3人兄弟,仲のよい両親とのしあわせだった家族。
一瞬の事故によって全てが壊れた。

その後,母親はタエレアンにつらく当たるようになった。
「なぜ,あとのき,気が付いたらすぐに助けを呼ばなかったのか。
父親が死んだのはタエレアンのせいだ。」
精神状態が不安定になったのか。
毎日のようにそう言ってタエレアンを責めた。
一種の虐待が始まった。
他の兄弟2人とは別扱い。
制服も,タエレアンだけ破れたボロボロのが一枚。
教育費もタエレアンにだけ一切使わなかった。
他の2人は塾も行き,文房具も揃っているのに。
母親の機嫌が悪いときには一緒に食事もとらせてもらえなった。
「あんたを見たら吐き気がする」
母親の口癖になっていた。

それが1年続いた。
学校だけが,音楽隊の授業を受けているときだけが唯一幸せなときだった。と。
もう家には帰りたくない…。

泣きじゃくるタエレアン。

後日,母親と話をし,12年生(高校3年)を終えるまで預かることになった。
「旦那が死んでからは家計が苦しいからね。
ネアックルーがほしいなら,この子をあげてもいいんだけど。」
最後に上目使いでそう言った。



それから今日まで。
家族として暮らしてきた。

学校での出来事,友達の話,サッカーの話。
毎日,生き生きと輝く瞳で一日の報告をする。
食卓にはいつも笑いが絶えなかった。
本当に優しく,誰よりも敏感に人の心を汲み取ることができる子。
「ネアックルーもちゃんとしっかりご飯を食べなさい」
「遅くまで仕事しないで,たまにはちゃんと寝ないとダメだよ」 等々。
一番口うるさく私に説教するのもタエレアン。

「ぼくの将来の夢は,ネアックルーちぃと一緒にNGOを作ることです。
ネアックルーの仕事のお手伝いがしたいです。
いろんな問題を抱えているカンボジアの子どもの手助けがしたいです。
だからそのために,中学・高校に行って一生懸命勉強します。」

提出した課題のノート。
小学校卒業の際,担任の先生が見せてくれた。


・・・・・・・・・・・・


そして,今日。
母親がやって来た。
「タエレアンを返してほしい」 と。

働き手が足りない。
もう中学生なんだから仕事も充分できる。
女手一つじゃとても大変。
一人で働くのがどれだけ苦しいか分かるか。
もし自分をかわいそうだと思うなら帰ってきて仕事を手伝って…
そう言ってタエレアンに泣きついた。

「あげる」 とか 「返せ」 とか。
子どもはモノじゃない!

そう叫びそうになったが。
タエレアンの前,こみ上げてくる怒りを抑えるのに必死だった。


昨年の6月,ソッパルが連れ戻されたときのことを思い出し。
胸の苦しさがよみがえる。
ソッパルの将来の夢は 『お医者さん』 だった。
7年生(中学1年)さえも終えることができず学校中退。
父親とともにの土方の仕事をすることになった。
13才の夢は,はかなく消えた。


タエレアンの話はとりあえず保留になったが。
今回もきっと守れない。
せめて,中学卒業まででも預からせてくれないか…。
母親と長い時間話をした。
だが,ゆずる気は全然ないようだ。

NGOでもNPOでもない私。
子どもたちとの暮らしも,問題を抱えている子どもを一時的に保護することも,
個人で勝手にやっていること。
法的に,子どもたちを守る力をまったく持たない。
もし生みの親がいて,「子どもを返せ」と言われたら…

どうにもできない。


「自分の好きなように生きなさい」
「自分のやりたいようにやりなさい」
そう育ててもらった自分の子ども時代と。
子どもが親のために生きるのが当然とされるカンボジアと。


タエレアンは帰りたくないと言う。
ずっとここにいたい。
ずっとネアックルーといたい。
今はここがぼくの家族だから。

まっすぐに私の目を見て。
唇をかみ締めならがら。
振り絞るようにしてそう言った。


でも,泣き崩れる母親を見て…
優しいタエレアン,もし帰らなかったら,一生自分を責めるのではないか。
これは,本当の母と暮らすチャンスなのではないか。


夢をもって
なりたい自分に向かって
生き生きと輝いていてほしい。。。

ただそれだけの願いなのに。



心臓のところが痛くて痛くてたまらない。



家族すら。


たった4人の家族すら守れない。





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[ 2011/02/12 23:51 ] 日記 2011 | TB(0) | CM(5)


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