4 Jan. 2009 (Sun.)

日曜日。
今日が修羅場。
片付けと荷作りを今日で何とかしなければ…。

朝。
校長先生家族が食事に呼んでくれる。
「私たちはちいのカンボジアの兄姉だからね。」
来たばかりの頃,そう言ってくれる2人の温かさがどんなに嬉しかったか…。


午後。
さぁ,勝負!

お別れのカード作りだけは今日中に終わらせて帰りたかったが。
仕事中,バランの兄ヴィアィッから何度も電話が来る。
「今日も家に来てくれるんでしょう?」
「何時に帰ってくるの?」
「まだ帰ってこないの?」
「仕事手伝おうか?」
「ネアックルー,早く来てよ!」

ここ1週間,毎日2~3回バランの家に顔を出していた。
顔を出さないのが初めてだから,ただ催促しているだけかと思っていた。

20時半,10回目くらいの電話が鳴る。

「今夜はまだ仕事が終わらないから…今日は行けないかな。ごめんね。」
「…。 みんなで…ご飯作って待ってたんだ…。」
!!??

作業場にしていた校長室をぶっ散らかしたまま,超特急で帰る。

バラン家に着いて…言葉が出なかった。
崩れそうな板とヤシの葉で作られた長屋。
その前にはパーティー会場ができあがっていた。

モトから降りると歓声がおこって10人ほどの子どもたちに取り囲まれた。
「ネアックルーのお別れ会なの。」
「5時からみんなで準備をして待ってたんだよ。」

ガタガタの台の上に穴だらけのテーブルクロス。
洗濯物干しのロープに飾られた風船。
足の折れた椅子たち。
そして,テーブルの真ん中には大皿にきれいに料理が盛り付けられていた。

料理はロック・ラック ― 牛肉炒め。
数切れしか入っていない肉をみんな私のお皿に入れようとする。
こんなにおいしいロック・ラックは他にはない。
こんな素敵なパーティー会場を見たことがない。

「ネアックルー,ご飯が少ししかないときはお水をいっぱい飲みながら食べるといいよ。
そうしたらすぐにお腹いっぱいになるから。」
笑顔でそんなことを教えてくれる。

日々の彼らの食生活。

10合ほどの米を嬉しそうに見せて
「これで10日は大丈夫だ。」と言っていたことがあった。
大抵は5~10人で食事をしている。

「おかずが足りなくならないようにするには塩をたくさん入れるのがいいんだ。」
そんなことを言いながら,ちょっぴりしかない小魚のから揚げを分けてくれたことがあった。

今日のこのご馳走を用意するのがどんなに大変だったか…。

「おいしいなぁ~…。」
という度にキャッキャという笑いが起こる。

事故の翌日。
バランにたずねた。
「ロアッタナーはいいなぁ。音楽隊に入れて。」 という言葉の意味を。

「バランも入ればいいじゃない?」
「何言ってんの,ネアックルーは。オレん家は貧乏なんだよ。」
「え?だって音楽隊はお金要らないよ?」
「でも貧乏だからムリだよ。」
「どうして?そんなの関係ないよ。入りたい人は誰でも入っていいんだよ。」
「だけど,うちはムリなんだ。ものすごい貧乏なんだ…。」
「そんなのへんだよ。貧乏だって音楽の勉強をする権利はあるんだよ。」
彼は何も答えなかった。

その日の昼,彼の家にピアニカと楽譜を持っていった。
それから,彼の家の前を通ると必ずピアニカの音が聞こえた。

一度,家に寄ったときに,彼が寝ていたことがある。
ぐっすり眠っている彼の胸の上で,しっかりとピアニカが握られていた。

昼も夜も,できる限り彼の家に寄った。
ピアニカの練習をしたり,おしゃべりしたり。
近所の子どもたちがどんどん集まってくる。
3~4才の子どもたちが絡みついてくる。
キャッキャ キャッキャ言って 私の膝の取り合いをする。
その横で,バランは嬉しそうに目を細めてピアニカの練習をする。

ときどき,バランが 「しあわせだなぁ~」と呟く。
「私もしあわせだなぁ~。」
そう言って目が合って2人で笑う。


これがしあわせってことなんだと思った。

何がってわけじゃなく。
特別なことなんてなく。
なんとなくしあわせだなぁ~って感じる瞬間。

これが永遠に続けばいいのに。


食事の後はみんなで踊った。
子どもたちも大人もおばあちゃんも。

粉を撒いて顔が真っ白。


いつもこんなふうに笑っていてほしい。


私がいなくなっても。

ずっと。

ここのみんなの笑顔だけはかわらないでほしい。
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[ 2010/07/09 20:49 ] 日記 2009 | TB(0) | CM(0)
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