6 Mar. 2008 (Thu.)

定例となった鍵盤授業の職員研修会。
今日は先生方のテストの日。
『キラキラ星』
80人中77人が完璧に弾ける。
3人は1週間特訓して,特別に試験は来週行うことに。

日本に帰る前からず~っと,気になっている先生が一人いた。
50代女性,3年生担任のソック・ラーイ先生。
彼女は音楽が大嫌い。

みんな真剣に,楽しそうに勉強する。
そう。
楽しくなくては音楽を教える意味がない。

たまに思う。
私の職は教員じゃなくて芸人か?
でも,彼女だけは笑わない。
他の先生方も,彼女には構わない。
3月に研修会を始めたときから,褒めて持ち上げて。
なんとか持ちこたえてきた。という感じ。
近くについてマンツーマンで教えると,時々嬉しそうな顔を見せる。
それが救いだった。
のに,今日は険しい表情を一瞬たりとも崩さない。
そろそろ限界か。

突然,「楽譜をもらってない。」と意味の分からない文句を言い始めた。
そんなはずはない。
楽譜は全員に渡るよう,必ず研修会の中で配布している。
これは話をするいいチャンス!
と思って,研修会後オフィスへ取りにきてもらうことに。

2人きりになると,ものすごい勢いで喋り始めた。

「ずっと研修会で勉強してきたが,自分だけは全くピアニカが弾けない。
もともと音楽が嫌い。
子どものときから歌はほとんど歌ったことがない。
社会の教科書の歌も,学級で教えたことはない。
これからも教える気がない。
自分は音楽のセンスがゼロなんだ。
だから,自分だけ音楽の研修会は参加しない,ということにしてくれないか。」

という内容だった。
言いたいことを吐き出して,かなり興奮気味の彼女。

「私がここに来たのは,子どもたちみんなに平等に学習の機会を与えたいと思ったから。
音楽を教えてもらえる子と,全く教えてもらったことがなく大人になる子がいるなんて
不公平だと思いませんか?
先生は,カンボジアの子どもたちにも平等に音楽を教えたいと思いませんか?
学級によって,歌を教えてもらえたえり教えてもらえなかったりすることが,
子どもたちにとっていいことだと思いますか?」

「もちろん私だって教えたいとは思う。
でも,できないんだから仕方ないでしょ。
両手で弾けるようになってる先生がいるのに…
私は『アラッピヤ』さえまだ完成していない。」

「両手で弾けるようになっている先生は,平日も休日も毎晩遅くまで私の家で練習しているから。
私は先生に音楽のセンスがないなんて思ったことがない。
だって今まで何も知らなかったのにもう 『指使いの練習 ③』 までできるようになったじゃない。
だから,少しずつでも経験を重ねていけば必ずできるようになる。
これは間違いない。
私が歌をうたえたり音楽についての知識があるのは,小学1年生から音楽の授業を受けてきたから。
ピアノが弾けるのは,4才のときからピアノを習っているから当然のこと。
音楽の才能があったわけではなく,小さいときに毎日何時間も練習していたんだ。
チャンスがあっても努力しないと,結局はチャンスがないのと一緒だと,私は思う。
それに,音楽の授業によって,音楽以外のもっと大事なことを学べる。
歌や鍵盤が上手になることよりもそれはもっともっと重要なことなんじゃないか。
私はそう思って日々音楽を教えている。」

こんな内容のことをゆっくりゆっくり話す。
少ないボキャブラリーの中から言葉を選んで。
気持ちだけでも伝わるように。

「時間のあるときでいいから,いつでもここに来てください。
少しずつ,2人で練習しよう!」

「ちいには参ったよ。」と,苦笑いの彼女。

少し黙ってから…

「わかった,わかった。」

そう言って出て行った。

溜まっていたものを吐き出してスッキリした様子ではあったが。
果たして伝わったのか。
さっぱり分からない。


カンボジアに来たばかりの頃。
『教える』ということに関して何か物足りなさを感じていた。
それが何なのか。
最近,はっきりわかった。

理由は2つ。
1つは自分の語学力の問題によるもの。
ボキャの乏しさから伝えたいことをうまく表現できない。
教科の内容はどうにかなる。
が,勉強ではなくてもっと大事なこと。
人として,もっと深い話をするとき。
直訳ではストレートすぎるし,遠まわしに言うと伝わらない。
感覚の違いから,『言わなくても伝わる』ということが通用しない場合が多い。
いつも何かもどかしさを感じる。

もう1つは,日本の子どもとカンボジアの子どもの違い。
子どもは基本的に同じなのだが。
背景と置かれている環境の違いによる,『学習』に対する意識。
日本では,子どもたちに「やる気」を起こさせるところにかなりの労力を使う。
特に中学校で教えた3年間。
勉強嫌いの田舎ヤンキーたちを,どうやって英語好きにしてやろうか。
来る日も来る日も作戦を練っていた。
それがなかなか楽しかった。

カンボジアでは「やる気」をわざわざ引き出さなくても,もともとある。
これは,私がやろうとしている情操教科についてのみ言えることなのかもしれないが。
新しいことを学べる喜び,お金を払わなくても学べることの喜び。
とにかく嬉しい!っていうのがビシビシ伝わってくる。
だから,私は「やる気」を「引き出す」んじゃなくて,「継続させる」ための努力をすればいい。


この先生のおかげで,なにかまた1つ楽しくなった。
久しぶりにワクワクしている。

ソック・ラーイ先生をどうやって音楽好きにしてやろうか…。
明日からの作戦を練ろう。
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[ 2010/07/08 20:53 ] 日記 2008 | TB(0) | CM(0)
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