2 July. 2007 (Mon.)

6年生のピアニカ指導の時間。
図書室の先生が来ない。
ので,鍵がない。
ので,ピアニカを使えない。
これで3回目。

カンカンに怒る。ふりをする私。
を見て,教頭先生は必死で彼に電話をかける。
が,結局繋がらず。

会議室を借りて集合。
ピアニカがないのに,何をするつもりなんだ?
と,子どもたちは不思議そうに私を見る。

「みんな,ピアニカを弾けるようになって嬉しい?」
「もちろんッ!」
「以前はWat Boにピアニカなんてなかったよね?ピアニカたちはどこから来たの?」
「・・・日本?」
「どうやって?」
「・・・?」
「ピアニカが,『よおし,カンボジアへ行こうッ!』って,飛行機に乗ったの?」
「ちが~うッ!!」
「誰かが送ってくれたんだ!」
「誰が?」
「・・・??」

今まで子どもたちに,この話をきちんとしたことがなかった。
私から言わなくてもわかるだろう。くらいにしか考えてなかった。
もしくは,先生方が伝えてくれているだろう。と。
が,ちょっと甘かった。
子どもたちは嬉しいだけで,「どこから?」「だれから?」という発想に立たない。
先生方は,保護者や来賓客には説明する。
けれど,子どもたちに伝える先生はいない。
もう少し早く話せばよかった。

「ここに書いてある日本の文字,なんだと思う?」
「さぁ・・・??名前・・・かなぁ??」
「誰の?」
「・・・??」
「・・・日本人?」
「そう,これはみ~んな,日本の子どもの名前なんだ。」
「そうか!日本の生徒がくれたんだ!!」
「うん,日本の子どもとか,もう大人になった人たちとか。
 これは『ささき ○○○』。先生の教え子の名前。
 これは『まつやま ○○○』。私のお母さんのお友達の子どもの名前。
 これは『こづか ○○○』。私の知らない日本の子どもの名前。
『ピアニカは楽しいよ!』って,
いろんな人たちがカンボジアの子どもたちに教えてあげたいって,送ってくれたんだよ。」
「へ~・・・。そうだったんだ~。」
「カンボジアのみんなが喜んでいるよ!って,私,日本にお手紙を送ろうと思ってるんだけど。
お手紙書きたいひと,いる?」
「クニョムッ!!」
一斉に手を挙げる。

紙と鉛筆を配ると,ものすごい勢いで書き始める。
そして,1人の子が手を挙げた。
「ネアックルー,日本の生徒はクメール語わかる?」
みんな,ハッとして手を止める。
「クメール語はわからないけれど,通訳つけるから大丈夫!かな?」

「日本語で,『オークン』って,何て言うの?」
「わたしの名前,日本語でどうやって書くの?」
「『ちぃ先生』ってどうやって書くの?」
「『6年生』ってどうやって書くの?」
ホワイトボードに平仮名で大きく書いてみせる。
写すのが上手い。

「日本とカンボジア,言葉は違うけれど,絵なら伝わりやすいかもね。」
そう言うと…
「絵を描いてもいいの?!」と,喜ぶ。
ピアニカの絵や,カンボジアの風景。

『絵を描く』という経験は殆どない子たちが多いけれど。
なかなか可愛い絵。
描き方が日本の子と違っていて,見ていて面白い。
早く図工もやりたいなぁ…。

2時間があっという間に過ぎる。
最後の15分は発表会。
照れくさそうに,自分の書いたお手紙を読む。
日本へのお礼の手紙というより,私へのラブレターのようになってしまった子もいるけれど。
短い文章から,子どもたちの喜びがビシビシと伝わってくる。
自由な発想で文章を書いたり,物を作ったり,ということがないカンボジア教育。
感情を表現するのが得意ではない。
『感謝の気持ち』は,教えるものじゃなくて,感じるもの。
その表現方法・伝え方について手を貸すのが教師の仕事。
音楽や図工といった情操教育は,表現を豊かにするという意味で,非常に重要なものだと感じた。

さあ,通訳だ。
誤字脱字だらけの子どもの文章。
辞書にない単語ばかり・・・。
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[ 2010/07/06 19:38 ] 日記 2007 | TB(0) | CM(0)
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