クーが来た。
田舎から乗り合いバスの屋根の上に乗って。
荷物は破れた小さなビニール袋一つ。
中にはぼろぼろのタオルが一本とバナナが1房。
バナナは母親から私へのプレゼント。
クーはマーリッの弟。
彼と初めて会ったのは9月。
デング熱にかかったとき。
まだ夜が明けきらない時間に母親から電話が入った。
「息子が死にかけている。病院に連れて行きたいが,バス代がない…」と。
高熱で意識がなくなってから2日後ということだった。
その朝すぐに乗り合いバスに乗せてもらい,午後,降り場へ迎えに行った。
ぐったりとして意識がない。
身体は燃えるように熱い。
1ヶ月の入院でなんとか回復。
無料で診てくれる外国支援による小児病院。
何度もお見舞いに行ったが。
外国人は一歩も中に入れてくれなかった。
歳は13才?
マーリッの一つ下だと言う。
あり得ない。
身体が小さい。
せいぜい8才~9才くらい。
カンボジア人は占いによって誕生日を変えてしまったりする。
そのせいか?
それとも栄養不足のせいか??
真相は親に聞いても分からない。
うちに来たばかりの頃のマーリッとおんなじ。
骨と皮しかない。
以前マーリッから聞いていた話。
先生がいないため3年生までしかない小学校。
クーは3年生を3回目やっているという。
読み書きはゼロ。
数字も読めない。
一日中仕事をしている。
牛追いは彼に任されている。
薪拾い,水汲み,畑仕事,食材のための虫や動物捕り,その他の力仕事…
学校にはほとんど行っていない。
「頭が悪いんだから働け」と親に言われている。
3ヶ月に一度,軍隊の仕事から帰ってくる父親にはしょっちゅう殴られる。
らしい。
田舎に帰る前,クーと話をした。
初めての都会。
挙動不審の彼。
知らないヒトと話すのも初めて。
田舎のなまりと日本人のなまりとで,私とは全然会話にならない。
別れ際。
「ねえちゃんはいいなぁ…」
マーリッにそう言った。らしい。
マーリッと相談した。
クーにも教育を受けさせたい。
休みにマーリッが実家へ。
彼女から母親に頼み込んだ。
クーを自分と同じようにワット・ボー小学校に通わせたい。と。
「働き手がいなくなる。」
母親はそう言って聞く耳をもたなかったらしいが。
考え直したのか。
一昨日,電話があった。
「クーも学校に通わせたい。マーリッと一緒に面倒をみてくれないか。」
という内容だった。
そして今日。
クーがやってきた。
久しぶりに明るいうちに帰宅。
みんなでおしゃべりをしながらお腹いっぱいご飯を食べる。
シャワーを浴びせる。
バスタオルで身体を拭かせる。
昼休みに買ってきた新しい下着を着せる。
彼にとっては全てが初めてのこと。
シャワーなんてものは見たことがない。
バスタオルなんて使ったことがない。
新しいきれいな下着も。
電気もガスも水道も。
家にあるもの全てに目を丸くする。
冷蔵庫で冷やした冷たいお茶。
彼は飲むことができなかった。
私が今日一番驚いたのは,食事。
醤油とチリソースに感激していた。
そしてお皿に盛ったご飯に醤油をかけたかと思うと…
無言でぺろりと一皿たいらげた。
その日は気合いを入れてクマエのスープを作ったのだが。
口に合わないのか??
二杯目のご飯にも醤油をかけようとした。
「ソムロー・マッチュー・ジュオンは嫌いなの?」
そっと聞いてみた。
大きな目をさらに大きくして私を見,スープを見た。
首を横に振った。
「一口食べてみてよ。」
恐る恐る口に運ぶ。
「食べれそう?」
首を縦に振った。
その後スープでご飯を2杯食べた。
さっき,こっそりマーリッに聞いてみた。
なぜスープを食べようとしなかったのか。
マーリッも首をかしげた。
そして笑いながら言った。
「多分…実家のスープには具がほとんど入っていないから…
きっとカンボジア料理だと思わなかったんじゃないかな…?
それに,クーは醤油が大好きだけど,うちにはお正月しかないから…」
そうか。
そういうことならちょっと安心。
夜7時半。
「明日は一緒に学校に行こうね。」
「バー。」
「シヴォン先生というとっても優しい先生のクラスだよ。」
「バー。」
「ワット・ボー小学校はとっても大きな学校なんだよ。」
「バー…。」
「きっと友達が山ほどできるよ。」
「バー……」
いつの間にか眠ってしまった。
へとへとに疲れているに違いない。
乗り合いバスに乗って一人で都会に出る大冒険。
一日中緊張しっぱなし。
何もかもが今までとは違う環境。
へたくそなクメール語を話す日本人。
クーとは全然会話になっていない。
マーリッともソッパルとも話さない。
まだ彼の笑顔を見ていない。
ゆっくり時間をかけていこう。
彼が安心して暮らせるようにしたい。
他の子どもたちのように,キラキラと輝く笑顔が見たい。
人の命を預かることの重み。
人を育てることの責任。
お金もないし,母の経験もないし。
なんにもないただの一人の私だから。
しあわせにできる自信なんてない。
だけど,あいだけはいっぱい注ぎたい。
一人の人間として全力で向き合っていきたい。
今,クーが私の部屋の床に寝ている。
ベッドに寝たことがない。
床の方がいい。と言う。
寝顔が最高にかわいい。
今日プレゼントした新しい通学用カバンを握り締めたまま。
どんな夢をみてるのかな。
今夜は私も一緒に床に寝よう。
今日から家族は4人と1匹。
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