29 Dec. 2008 (Mon.)

今夜は眠れそうにない。
久しぶりの日記を書いてみる。

午後。
音楽隊の授業。
音楽室に行くとみんな静か。
プンルーとシナンが珍しく真顔。
「ネアックルー交通事故だ。」と言う。
「いつ?」「どこで?」
ここまではよくある会話だが。

「ロアッタナーが病院に運ばれた。」

血の気が引いていくのが自分でもわかった。

ロアッタナー。
2ヶ月ほど前のある日。
昼,午前の部が下校したばかり。
いつものように音楽室で仕事をしていた。
そこへ,6年生の男の子が一人ふらりと音楽室に入ってきた。
もう午後の部の子たちが来たのか。
「ネアックルー,ピアノ弾いていい?」
そう言って,授業で習った曲をスラスラと弾きだす。

音楽隊には入っていないが,この子はしっかり覚えている。
5年生のときからだ。
校内音楽発表会のとき。
ピアニカを演奏するみんなの前に,バケツと棒を持って立っていた。
みんなのリズムを合わせるために,大声を上げて指揮をとっていた。
6年生になってから。
担任が行っているピアニカの授業。
のぞきに行くと,一人だけ太鼓を叩いているロアッタナー。
「ほら,ピアニカ用意しなくっちゃ。
クムホーイ先生と一緒にピアニカ練習しようよ。」
そう,こっそり声を掛けると…
「オレ,もうできるもん。この曲は簡単すぎる。」
そんな答えが返ってくるとは思わずビックリしたことがあった。
ちょっぴりワルのにおいがする彼。
音楽隊に入りたいなんて言ったことはない。


ピアノに飽きたころ。
「ネアックルー,チャイヤム太鼓も叩いていい?」
「うん。」
このチャイヤム太鼓は,半年前に地元のお金持ちから寄付された。
が,誰も演奏できないため,音楽室に置いたままになっていた。
テレビで研究しても,なかなか教えられるほどにはならない。
チャイヤム太鼓の指導は半分諦めていた。

凄い!
リズムが完璧!ってだけじゃない。
私が叩いてもあんな凄い音は出なかった。
「ヘンな太鼓」って思ってたのに!
リズムにのって踊りながら叩く。
そして初めて見た彼のとびっきりの笑顔!!
「なんでこんなに上手なの!?」
「オレ,小さいときは田舎に住んでてね,
カンボジアの民族楽器を教えてくれるおじいちゃんが,すぐ近くにいたんだ。
うちの家族はみんな音楽大好きだから,毎日教えてもらいに行ってたんだ。」

その日から,彼は私のロックルー(師匠)になった。
何度も何度も一緒に叩いた。
休み時間も放課後も,一日に何度も彼が音楽室に現れるようになった。

音楽隊の指導をお願いしてみた。
「音楽隊でチャイヤムが演奏できるようになったら最高だなぁ~。
師匠が音楽隊に教えてくれると嬉しいんだけど…。」
「いいよ!いつから?」
「明日の9時。」

翌日,彼は7時前から学校に来ていた。
毎日必死で6名の子に太鼓を教えてくれた。
音楽隊の発表があるときには,必ず彼も一緒に参加するようになった。
少しずつ音楽隊の子どもたちとも馴染みはじめた。
「やっぱオレ,音楽好きだな~!」
そう言って見せる彼の笑顔が好きだった。


事故現場を見た子が詳細を話してくれた。
頭から血を流しているロアッタナーの姿…
この前見た事故現場の遺体が脳裏をよぎる。
教頭先生に事情を話し,一緒に病院に行くことになった。

教頭先生のモトの後ろ。
情けないけど震えがとまらない。

病院に着くと…
外のベンチにロアッタナーが座っている。
無事だ!!
「ロアッタナーッッ!!!」

ロアッタナーの隣には家の近所の子,バランが座っている。
2人でモトに乗っていたらしい。

血まみれのTシャツを着たままのロアッタナー。
縫いたての額には赤チンがぬられ,ガーゼが一枚あてられているだけ。
体中あちこちにある傷は消毒もされておらず,流れた血がこびりついていた。

バラン。
パンパンに腫れた膝を押さえて歯を食いしばっている。
治療は何もしていない。
膝の骨が折れていることが分かっているにも関わらず。
耳から流れている血は拭われてもいない。

ロアッタナーの保護者にあたる叔母らしい人は,警察に呼ばれて行ったらしい。

私と教頭先生を見て,医者が外に出てきた。
速攻質問した。

2人が外に座っているのはどういうわけか。
なぜ手当てをしないのか。

ベッドに寝るとお金がかかるから外で待たせている。
治療は済んだ。
という返答。

なんでッ!?
まだ血が出てるのに!
骨折してるのにほったらかしなんて!
頭を強く打ってるのに座らしておくなんて。
事故は1時過ぎ。
すでに3時間近く経っている。
怒りで鼓動が速くなるのを感じた。

医者は,相手が貧しいと薬をほとんど使わない。
というのはカンボジアでは誰も驚かないらしい。

「教頭先生,違う病院に連れて行こう。」

「ちぃ,もう保護者が来るはずだから大丈夫。
私たちはとりあえず学校に帰ろう。
一晩様子を見てから考えよう。」

あ,そうだ!授業中だった。

教頭先生にモトに乗せられ学校へ引き返す。

どんなに恐かったろう。
どんなに不安だろう。
ベンチに座った2人の姿が頭から離れない。

学校へ戻ると,音楽隊がジッと私の顔を見つめる。

「ロアッタナーは大丈夫。
頭を縫う大怪我をしたけど,きっとすぐに帰ってくるよ。」

ふぅ~とみんなため息。

「みんな,交通事故には本当に気をつけてね。
モトに乗るときも,自転車に乗るときも,歩いてるときも,いつだって。
もしもみんなに何かあったら,お父さんやお母さんを泣かせることになるんだよ…」
「うちはお父さんもお母さんもいないから誰も泣かないよ。」 という声が小さく聞こえた。

「ネアックルーが泣くからッ!!」
自分でもその大きな声に驚いた。

さっきまで我慢してた涙がこみ上げてきた。
教室がシーンとなった。

スライオーンがしゃくりあげて泣き出した。
教室中に涙が感染した。


みんな帰った学校。
2人のことがどうしても頭から離れない。
なにも手につかない。
頭を打っている。
骨折した足。
強く打った下腹部が黒いアザになって腫れていた。

病院に戻った。
が,2人の姿はもうなかった。
近所のバランの家に急ぐ。
が,ここにもバランの姿がない。
家の人たちはバランが事故にあったことも知らなかった。
担任に家に行ってもらうことになっていたのだが…。

きっとロアッタナーの家だ。
バランの兄が同行。
たった一人の兄弟。
両親のいないバラン。
2つ違いの兄が親がわりをしている。
「ちょっと足を打っただけだから大丈夫!心配ないよ。」
そんな私の言葉は彼の耳には届かない。
「何てことだ…」「どうしてこんなことに…」
独り言のように,モトの後ろでずっと呟いていた。

ロアッタナーの家には親戚らしい人がいっぱいいる。
事故の話を聞きに周りに人が集まる。
が,誰一人ロアッタナーの身体を気遣う人はいない。ように見える。

「とりあえず,もう一度病院へ行こう。
ちゃんとした病院で診てもらおう。
しっかり傷の手当をしてもらおう。」
みんなにそう提案してみる。
が,誰も頷かない。
話題になるのはお金のことばかり。
「ネアックルー,大丈夫だよ。
オレは痩せ過ぎだから,このくらいお腹が腫れてる方がいいんだ。」
そう言ってみんなを笑わせようとする。

決めた。
「代金は私が払うので今すぐ病院に連れて行きます。」

誰も返事をしなかった。

病院にはトゥクトゥクで行くことにした。
「トゥクトゥク!?モトでいいよ!トゥクトゥクは高いよ!」
ロアッタナーの叔母とバランの兄が言った。

聞こえないふりをした。
膝が折れてるのにどうやってモトに乗せる気なのか。

バランの兄とロアッタナーの叔母が一緒にトゥクトゥクに乗って,さっきとは違う病院へ向かった。


看護師が生年月日と年齢を尋ねる。

バラン,15歳。
ロアッタナー,「わからない。」と答える。
「生まれてすぐに母親が死んで,父親は病気でどこにいるかわからないから…
自分の誕生日を知らないんだ。
多分16とか17くらいだよ,きっと。」
笑顔でそう答える彼。

父親はすぐに再婚し,一人っ子のロアッタナーは親戚のところへ預けられた。
親戚をたらい回しにされ,何度も転校を繰り返した。らしい。
ときには2時間歩いて学校へ通った。
ときには学校に通わせてもらえなかった。らしい。

医者を待っている間。
甘えるように私の肩にもたれかかって色んな話をしてくれた。

それでも一生懸命気をつかう。
冗談を言って笑わそうとする。

バランにはロアッタナーのような人懐っこさがない。
近所に住んでいても,私とこんなに話をするのは初めて。
どう接していいかわからないらしい様子。
バランのベッドに腰掛けると,ズルズルと離れる。
もっと近くに寄ってやる。
またちょっとだけ離れる。
何度も繰り返して逃げ場がなくなった。
目が合って,恥ずかしそうに 「デヘヘ。」 と笑った。

「ロアッタナーはいいなぁ。音楽隊に入れて。」
バランは消えそうな声で呟いた。
でも,確かに聞こえた。

2人は一泊入院することにした。
病院からの帰りのモト。
バランの兄が言う。
「ネアックルー,僕を日本に連れて行ってくれませんか?
日本はどんな仕事でも給料がいい。
皿洗いでも,ゴミ拾いでも,なんでもやります。
ネアックルーに病院代を返したいんです。
貧乏なおばあちゃんと親戚たちを幸せにしたいんです。」

私は今まで,誰かのためにお金を稼いだことがあっただろうか。
やりたい仕事。好きな職。
自分が満足するために,目いっぱい働いてきた。
いつも自分,自分だ。


バランのおばあちゃんが言った。
「この子をネアックルーにあげる。」

ロアッタナーの叔母が言った。
「この子を日本に連れてって働かしてくれ。」

言葉が出なかった。
本人たちの前で放たれたこの言葉たち。
2人はどう感じているのだろう。
「あげる」って…モノじゃない!!
「働かせろ」って…まだ6年生じゃない!?
でもこの2人を攻めることができなかった。

おばあちゃんの物乞いでバラン兄弟は養われている。
ロアッタナーの叔母には片足のない旦那と小さな子どもが4人。

こみ上げてくる,この震えるほどの怒り。
一体どこへ向けるべきものなのか。


病院のベッドに腰掛け,ロアッタナーといっぱい話をした。

「ロアッタナーの将来の夢は何?」

「ミュージシャン。音楽が大好きなんだ。」



泣いても泣いても今夜は涙が止まらない。
スポンサーサイト
[ 2010/07/09 20:45 ] 日記 2008 | TB(0) | CM(0)

14 June. 2008 (Sat.)

今日はクラチェへ。
JOCVの活動の手伝い。

朝礼と1時間目が終わって,そのままバス乗り場へ。
8時30分,弟とともにクラチェ行きのバスに飛び乗る。
到着は19時近く。

クラチェまでは6眠りほど。

最近の距離の単位 『~眠り』。
プノンペンまでは大抵4眠り。
最高2眠りという記録もある。

着いた。
はいいけど…
熱。
最悪。
ほとんどをベッドで過ごしてしまった。

帰りは最高記録を更新。

一眠り。

おしまい。

[ 2010/07/09 20:18 ] 日記 2008 | TB(0) | CM(0)

11 June.2008 (Wed.)

実習生のピアノ指導。
今日は養成校の寮の当番があるからとみんな早めに切り上げ,最後にヴェスナーだけが残った。
一番真面目な彼。
集中力も並外れている。
できないところを何度も繰り返す。
同じフレーズを何十回も弾きまくる。

「ヴェスナーはすごいね。その一生懸命なところ,大好きだな。」
そう言うと照れくさそうに笑った。
そして,真面目な顔をしてこう言った。
「本当のことを言うと…僕が一生懸命勉強しようと思ったのはワットボーに来てからです。
 ネアックルーちぃを見て,生まれ変わろうと決めたんです。」 と。

予想だにせぬ返答に目が点になった。

「少し話を聞いてもらってもいいですか?」
そして,自分の生い立ちの話を始めた。

自分には親も兄弟もいない。
両親をポル・ポトのせいで亡くした。と。

ここでまず,理解できなかった。
ポル・ポトは1975~1979年のはず。
ヴェスナーは21歳。
???
なぜ?
申し訳ないと思いながらも聞いてみた。

クメール・ルージュによる虐殺行為は,都市部では1979年に一応終結した。
が,地方では90年代まで虐殺が続いていた。と。
知らなかった。

中学時代,私がテニスに明け暮れていた頃。
こんなに近くの東南アジアの国でそんなことが起こっていた。
その後はたった一人のおばあちゃんと暮らしていた。
が,おばあちゃんがすぐに亡くなってしまった。

身寄りがなくなった彼はお寺の敷地内で暮らし始める。
同じように身寄りのない子どもたちと,ゴミをあさりながらなんとか生き延びてきた。
本当の兄弟のように助け合いながら生きてきた。と。

そのうち,そのお寺のお坊さんが子どもたちの面倒を見てくれるようになった。
小学校に通うことができるようになって,ヴェスナーは必死で勉強した。
いつも成績優秀なヴェスナーに目をかけたお坊さんは,彼を中学校にも通わせてくれた。

そして,教員になることを目指し,教員養成校に入学。
しかし,ここで彼は挫折を味わった。
都会に出てきて,貧富の格差の大きさを目の当たりにしたらしい。
裕福な友達は高校を卒業している。
そして塾に通い,みんな英語やフランス語を習っている。
もちろん働く必要もない。
携帯電話を片手にモトで遊びに出かけることもできる。
一方,貧しい学生たちは養成校の寮で生活。
寮は無料ということもあり,養成校の校長が彼らをこき使う。
朝から晩まで奴隷のように働かせる。
ので,自分の勉強する時間と体力が全くなくなる。
習い事なんかできるわけもなく。
自分で勉強しようにもテキストすら買うお金もない。
どんなに頑張っても貧乏人は報われない。
そう感じたヴェスナーはグレてしまったらしい。

寮の仕事をさぼって悪い仲間と夜な夜な出歩く。
授業も出なくなった。
学校の仲間からは 『悪い奴』 というレッテルを貼られていたようだ。
養成校での音楽の授業は,「トイレに行く」と言って教室を出て,一度も受けたことがない。と。

それが今,必死で国歌の伴奏の練習をしている。

ワット・ボーに実習に来れて良かった。
これまでの自分が恥ずかしくなった。と。
実習初日の放課後,僕とセイハーが校庭の掃除をしていたときのこと,覚えていますか?
もう帰るところだったネアックルーが,ほうきを持って戻ってきたんです。そして,
「こんな広い校庭を2人で掃除するなんてばかげている!
なんで一生懸命な人だけが大変な思いをしなくちゃいけないの!!」
と,カンカンに怒っていたんです。
そのときから,ネアックルーのことを目で追うようになりました。
いつだって皆に優しくて,人のために一生懸命働いている。
優秀な教員なのに偉そうにしない。
先生にも子どもにもみんなに愛されている。
自分もそんな人になりたい。と。

そして,「今度はネアックルーの生い立ちの話をしてください」 と。

…。
ヴェスナーに話せることがない。
どの時代をとっても幸せいっぱい,恵まれた人生。
その時々で悩んだり苦しんだりしたこともあったはずだが。
ものすごくちっぽけのことに思える。
自分がものすごくちっぽけに見える。

本当の苦しみや悲しみを知らない。

私の方がヴェスナーのような学生に逢えてよかった。

もっと頑張れる。
そう思わせてくれる。

もっともっと頑張んなきゃ。
そう奮い立たせてくれる。


私は本当の苦しみや悲しみを知らないかもしれない。
でも,本当のあたたかさやよろこびを知っている。

それら全てをお互いに共有できる。

そんな人になりたい。


そう思った。
[ 2010/07/09 20:17 ] 日記 2008 | TB(0) | CM(0)

6 June.2008 (Fri.)

今日から教育実習生のピアノ講習が始まった。
教員養成校にだって私と同じ職種のJOCVがいる。
だから,実習生の指導からは手を引くことにしていたのだけど。

昨日の昼休み。
「ネアックルー,どうしてもピアノを習いたいんですけど…」
2人の学生がやってきた。
「実習はあと1週間くらいだよね?
戻ってから養成校のJOCVに教えてもらった方がいいんじゃないかな?」

そう言ってみても…全く引き下がる気配がない。
「僕たちもワットボーの先生たちのようにピアノを弾ける先生になりたい」 んだと。
「1週間,死ぬ気で練習します」 と。

この熱意に弱いんだよね…
かわいくてしょうがない。

セイハーとヴェスナー。
休み時間もあき時間もピアノから離れない。
ので,あっという間に弾けるようになった。

日中は教える時間がほとんど取れない。
なので,通りすがりに,
「今の,音が違うよ~!」とか,
「指が違~う!」とか叫んでいるだけ。
みっちり特訓できるのは早朝6時からの30分と,放課後の17時半~20時まで。

彼らが狂ったように練習している姿を見て他の子たちも刺激を受ける。
どんどん増えていく。

こうやって少しずつ,ほんっの少しずつ,音楽教育が広がっていったらいいな。
[ 2010/07/09 20:13 ] 日記 2008 | TB(0) | CM(0)

21 Apr. 2008 (Mon.)

チョーリエン!
今日から新学期が始まった。
そして…
音楽室の完成☆★
休み中に工事が進み,新校舎の4教室が出来上がった。

去年の8月,職員会議の中での校長先生の言葉。

「ちぃのおかげで先生方が音楽の授業をできるようになってきた。
親切な日本人のおかげで楽器もたくさんある。
あと必要なのは教室だ。
クメール人じゃない人たちがこんなにもクメール人のために助けてくれている。
我々も自分たちでできることを何かやらなくては…
応援してくれる日本人に顔向けできない。
寄付金を集めて教室を作ろう!」

そして全校児童4800名と全職員100名によるパレードの計画をした。
私が日本に強制送還されている間に2回実施。
地元のお金持ちにも呼びかけ資金を集めたのだった。


朝一の職員会議。
「ちぃ,今日から新しい教室をつかって!
先生方,ちぃの引越しをみんなで手伝ってあげなさい。」

5,6年生の先生たちが子どもを引き連れて手伝いに来てくれた。
長期で遊びに来た弟が,ここへ来て大活躍。
汗だくになって図書室と新しい教室を行ったり来たり。
みんなが1往復する間に3往復する。
さすが日本人。

午前いっぱいかかってとりあえず引越し完了。

黒板も電気も何もない。
机も椅子も棚もない。
しまい場所のない楽器が散乱している。

わくわく。
胸が高鳴る。

ようし!
新しいスタートだ!
ここを立派な音楽室にしてみせるッ!!
[ 2010/07/09 20:11 ] 日記 2008 | TB(0) | CM(0)